if （宍戸バージョン） 2008/07/22 (Tue)

もしも宍戸が猫だったなら。
超短編。

先日の宍戸バージョンです。

if  （宍戸バージョン）

屋敷の勝手口に作られた小さな出入り口から、黒猫がするりと入ってくる。その痩身が廊下へ忍び出たところで、家の主が声をかける。
「亮」
しかし、それを無視して黒猫は壁伝いに駆けて行ってしまった。
「ったく、あいつは」
案の定だ。
跡部の心配したとおり、いつもより遅く帰宅した飼い猫はその身に傷を負っていた。
駆け出す反動で床に飛び散った細かい血痕に、跡部は舌を打つ。
「心配させやがって」
踵を返すと、跡部は急いで自室を目指した。

亮は、先月屋敷の前に捨てられていた子猫のうちの一匹だった。
大きな家に住んでいる者はいくらでもペットを飼う余裕があると思うのか、箱に入れられた動物を置き去りにされるのは間々あることだ。
その度に執事や使用人らが飼い主を当たったりしたのだが、この亮にだけは全員が全員困ったように溜息をついた。
まず、可愛くないのだ。子猫となればなんだって可愛いだろうと思っていたのだが、こんなにも兇暴で目付きの悪い猫にはお目にかかったことがない。
そして、もちろん触らせない。
伸ばされる手を尽く引っ掻いては、シャーっと牙を剥いた。
そんな時、近づけずに困り果てていた使用人を掻き分けて、初めて触れたのが跡部だ。
「坊ちゃま！？」
執事の声に「大丈夫」と微笑むと、跡部は強引に片手で抱き上げた亮の小さな頭をぺちんと叩いた。
「噛むな。すぐに飯やるから」
そう言うと、ガジガジと右手を齧らせながらも、楽しそうに部屋へと引き上げて行った。

初日は部屋の隅や物陰だけを移動し警戒していた亮は、次第に部屋の中を自由に歩きまわるようになった。
それでも中々他に使用人には馴染まず、廊下に出るようになったのは10日以上経ってからだ。
今では、自分専用に作ってもらった出入り口から自由に外へ出られるようになったが、所詮家猫なので、今日のように外猫の制裁を受けて帰ってくることも珍しくない。
その傷はいつも体の前側に集中していて、尻を見せて逃げ帰ってきたのでは無いだろうが、だからこそ心配になってしまう。その勝気さで、いつか顔でも傷つけやしないかと冷や冷やさせられる。
「目でも引っ掻かれたら大ごとだからな」
大して懐きもしないくせに、まっすぐ見つめてくる亮の瞳が大好きだ。あれが潰されてしまったら、猫相手に本気で仇討を考えてしまいそうな自分に苦笑する。
「なァ、亮？少しは俺を安心させてくれ」
音もなく動いた気配に、跡部は話しかける。
すると、ソファに腰掛けた背後から亮が静かに歩み寄ってきた。
「ほら」
そう言ってソファの隣をポンと叩けば、亮は素直にそこへ飛び乗り体を丸める。
「見せてみろ」
右前脚を取りその先を覗きこむと、思ったとおり艶やかな毛が濡れている。丁寧に舐めて血は止まっているものの、そこに有るべき爪が１本無くなっていた。
「無茶すんな、まったく…」
すぐに生えてくると分かっていても、痛々しさに顔を顰めてしまう。しかし、当の本人（本猫？）は平気顔だ。むしろ迷惑そうな溜息に、跡部は思わず噴き出す。猫が溜息を吐くなんて亮を飼って初めて知った事だ。
けれど、跡部は亮を構う事を止めない。まだ大人になりきらない細い体を優しく擦り、耳の後ろを擽るように撫でた。
喉も鳴らさずただ詰まらなそうに眼を閉じる亮が、それでも自分にだけは心を許しているのが分かる。怪我した体を触れさせるのがいい証拠だ。

「そろそろ寝るか」
独り言のように呟き跡部が立ち上がる。すると亮は、足音もなく一定の距離を保ちながら追いかける。
足にすり寄りもしない甘え下手に、跡部はこっそりと微笑んだ。