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跡部は親の会社で跡継ぎ修行、宍戸は保育士で2人は同棲しています。
シリーズとありますが、単品で読めます。


甘い記憶 
~氷帝社会人シリーズ3~ (跡宍)


土曜の夜。
リビングにはミシンの音とパソコンのキーボードを叩く音が、心地よい二重奏となって響いていた。
テレビもつけず音楽も流さない。
無音の中、お互いの用事をリビングに持ち込んで過ごすのが跡部と宍戸の週末だ。
「んーっ!終わったぁ」
ラグにぺたりと座り込んで保育園で使うエプロンを縫っていた宍戸は、凝った肩を揉み解すように回してからソファに寝転ぶ。その格好のまま首だけを反らすと、窓際に置かれたサイドテーブルでパソコンに向かう跡部の姿が見える。その眉間には、少しはなれた場所からでも深い皺が見てとれた。
「あのバカが…」
集中すると休息を忘れるのが跡部の悪い癖だ。
宍戸は立ち上がると、壁際に据えられたマホガニーのキャビネットへと歩み寄った。

「ほら、跡部。ちょっと休憩しようぜ?」
「…宍戸?」
呼びかける声に手を止め、傍らに立つ宍戸を見上げると、その両手には梅酒のボトルとグラスが2個。
「ちょっと付き合えよ」
宍戸はそう微笑むと向かいの椅子に腰掛ける。
「そうだな。少し休むか…」
跡部はデータを保存しノートパソコンを閉じると、仕事でだけ使用する眼鏡を外す。椅子の背もたれを使って大きく身体を反ると、ボキボキと音がしそうなほど固まっていた。
ロックで飲むのを好む宍戸は手酌でボトルから注ぐと、もうちびちびと舐めだしている。
「…ワインにしねえ?」
赤ワインを好む跡部がそう聞くけれど、宍戸はさっさと跡部に用意したグラスに梅酒を注いでしまう。
「疲れた時には甘いのがいいぜ?」
なんて言いながら実は自分が好きなだけの宍戸に、跡部は苦笑しながらも手にしたグラスの氷を転がす。
「甘ぇ…」
「梅酒ですから」
舌先で舐めただけでも広がる円やかな甘みに跡部は眉をしかめるけれど、宍戸は実に美味しそうに微笑む。
「ったくお前は…」
跡部が呆れたような声を出すと、その先を宍戸が引き継いだ。
「味覚がお子様なんだよ、だろ?」
くすくすと笑う宍戸。
二十歳を待てずに酒を口にし始めた頃。苦い酒が苦手で甘味のある物ばかりを選び、その口当たりの良さに飲みすぎて泥酔した宍戸を担ぎながら、跡部がよく口にしていたのがこのセリフだった。
「…分かってんじゃねーか」
跡部もつられて口元を綻ばせる。
「でもさ…」
グラスの中で揺らめく梅酒を眺めながら、宍戸は甘酸っぱい記憶を手繰る。それまではただの友達だと思っていた跡部と、付き合う切っ掛けになったあの日の記憶。
「でも、俺がお子様味覚で酒に弱くなかったら、こうして一緒にいなかったかもしれないんだな…」
「そうかもな…」
跡部も、つい昨日のことのようで、でももう5年も前になる出来事に思いを馳せる。

大学1年の夏。
新しい生活には慣れて、けれどまだ将来について考えが回るほどの切迫感のない年齢。例に違わず腐れ縁のメンバーたちは遊び呆けていた。
全員見事に違う大学へ進んだメンバーは、夏休みに入ったばかりのある日、飲みに行こうと新宿アルタ前に待ち合わせた。
高校時代からみんなに連れまわされていた跡部は、その頃には混んだ電車や繁華街にも文句を言わなくなり、街で「モデルみたいなカッコイイ男の子がいる!」と騒がれてもそ知らぬ顔でかわせる程だったので、そんないかにもな場所での待ち合わせも問題なくなっていた。

「よお、久しぶり!」
待ち合わせ時間ぴったりに到着したのは宍戸。
その場にはすでに跡部と忍足と滝、そして岳人が揃っていた。
「遅い」
憮然とした跡部の一言に、宍戸は時計を確認する。
「丁度じゃん。お前が早すぎんだって!さすがA型だぜ」
確かに時間の少し前には到着しないと落ち着かない跡部だから、あえてそれ以上文句は言わなかった。
「ジローは?」
宍戸が周りを見回してもそれらしい姿は見えない。まあ、実のところそれはお決まりのパターンなのだが…。
「どうせ遅れる思て、待ち合わせ時間の30分前を伝えといたんやけどなぁ」
忍足のボヤキに、岳人は呆れたように言う。
「それきっとジローのヤツ気づいてるぜ」
「え~そうなん?ほんなら、これからまた30分待ちかぁ?」
やはり早めに到着した忍足がぐったりとした声を出す。
「先に行こう」
鶴の一声ならぬ跡部様の一声。
「じゃー、俺ジローにメールしとくね」
滝がそう言うと、みんな待ってましたとばかりに予約した店へと向かい歩き出した。

「とりあえずみんな生中でええか?」
薄暗い端のテーブル席に収まると、忍足がメニューを開きながら尋ねる。跡部と滝が頷き、岳人も悩んだ末に頷くが、宍戸は「いや」と声を上げる。
「俺、カシスオレンジにしとく」
「そうなん?珍しいやん?」
「ああ。俺最近気づいたんだけど、ビールは受け付けないっぽい」
春にさんざん連れて行かれたテニスサークルの歓迎コンパで、宍戸は自分の酒の弱さを思い知らされていた。そしてアルコールの弱さより何より、苦い酒が美味しいと思えないのだ。先輩に乗せられてビールジョッキを一気しようものなら、アルコールよりその苦さにノックアウトという具合だ。
「それじゃコンパ大変だったでしょ?」
そんなに強くない滝が心配そうに言う。
「マジ、しんどかった…」
そう遠くない辛い記憶に眉をしかめれば、跡部がバカにしたように鼻で笑う。
「お子様味覚なんだよ、手前は」
いつもならカチンとくるところだけれど…。
「うーん。こればっかは否定できねェ」
そう言って宍戸は苦笑した。
「えー、じゃあ俺も甘いのにする!」
「がっくんも?」
忍足が不思議そうに尋ねる。
「いつもみんなに合わせてたけど、俺もビール美味いと思えないんだよねェ」
「…なんや、今までカッコつけてたんか?」
図星をつかれた岳人は、ムッとしながら忍足の頭をメニューで引っ叩いた。

「お待たせ~!」
1時間も過ぎてジローが現れた頃には、先に飲み始めた5人は大分出来上がっていた。正しく言えば5人中3人だが。
「やほー!待ってたぜ、ジロー♪」
背を向けて座った岳人が、背もたれにダラーンと寄りかかり仰向けにジローを出迎える。
「わー、がっくん。もう出来上がってる…」
日ごろ1番テンションが高いジローでさえ引いてしまう酔いっぷりだ。
「ジローっ!ひさしぶり~!!」
駆け寄ってジローの両手を取りはしゃいだ声を上げる滝は、どこぞの女子高生かという弾けっぷり。
「…滝まで」
いつもは穏やかな滝が、ジローの手をつかみながらくるくる回り出した。
「た、滝?とりあえず俺座っていい?」
戸惑いながら言うと、急に素に戻った滝は「さ、どうぞ?」と席を整えてくれる。
「あ、ありがと…」
ジローが困惑しながら腰掛けると、目の前には宍戸が、一番どうしよもなさそうに明らかに潰れている。
その隣で、崩れそうな宍戸の身体を支えているのが跡部だ。
「…跡部」
ジローの視線に、何も言ってくれるなという風に首を振る跡部。
「堪忍なぁジロー。俺と跡部のペースにみんな釣られてもうたらしくて、この通りや…」
「なるほどね…」
得てして楽しいと、飲めない酒も飲めてしまうものだ。
何が可笑しいのかゲラゲラ笑って頭を振りたてる岳人の前からグラスや皿を避けつつ忍足は謝るが、白けた飲み会よりは全然マシでしょうと、メニューを掴むジローの手にも力が入る。
「ハイハーイ!そこのお兄さん、生中一つよろしく~♪」
「あぁ、ジロたん…」
やはり飲む方にまわってしまうのね…と忍足は肩を落とす。
「ったく。酔った者勝ちだな」
楽しそうなジローの姿に、跡部も呆れたように溜息をついた。

「そんでな、ゆーしー。聞いてる?」
「…はいはい、聞いとるでェ」
何度も同じ話をする岳人に、根気良く付き合う忍足。
「でねー!超かっこEの!」
「やーっ!羨ましい~!」
好きなロック歌手の話で盛り上がるジローと滝が手を取り合いはしゃぐ姿は、やはりテンションの高い女子高生のようだ。
「あのな、跡部、俺ね」
「…ああ」
テーブルにぺたりとうつ伏せて、隣に座る跡部の指を弄びながら話す宍戸。
「あのな、悩んだんだけどな、テニスは趣味にして、保育士目指すん…だ」
「…そうか」
こちらは人生相談になっていた。相談というより報告なのだが、どうも仲間に打ち明けるのは始めてらしく、ここまで言うのにも大分時間がかかっていた。
跡部は冷静を装いながらも、かなり動揺している。
別に宍戸がテニスをやめる事にショックを受けている訳ではない。それを言えば跡部本人はとっくにテニスは趣味と割り切っていたし、滝は中学まででやめていた。
そんな事より、今の跡部を緊張させているのは宍戸の仕草である。
ジローが到着して、よりテンションが高まった頃、「聞いてくれるか?」と話しを切り出した宍戸。テニスを始めた頃の話しをしたり中学の全国大会を思い出してみたり、脈略のない話を続ける宍戸を、跡部は不思議に思いながらも急かさなかった。
そして、その間中宍戸はこの姿勢で跡部の手を触り続けていた。手持ち無沙汰にストローの袋を弄ぶようなそんな手つきで。跡部の指の縁を自分の指先でなぞったり、爪の形を確認するように撫でてみたり。時には持ち上げ自分の手のひらの大きさと比べてみたり。「あ、やっぱり俺より大きい」なんて、思い出話の間に言ってみたりした。
「俺…頑張って勉強しなきゃ、今まで、テニスばっか、だったから」
酔いにまかせてうつらうつら話す宍戸の幼い口調に、跡部はこのポーカーフェイスもそろそろ限界かと思う。
宍戸にとっては何てことない、ほかのメンバーにもするような他愛もない仕草かもしれないけれど、跡部にとってはとても重大な意味を持っていた。
跡部は、中学時代宍戸が長かった髪を切り落とす前から、その姿を見つめていたから。ずっと言えない想いを心に秘めていたから。
想う相手から手を触れてくれるなど、何ものにも代えられない喜びなのだ。
このまま手を握り返して、自分の気持ちを打ち明けてしまおうか…。そう思って指先に力を込めた時、急に顔色を変えた宍戸がガバっと身を起こす。
「宍戸!?」
自分のしようとした事がバレたのかと焦る跡部をよそに、宍戸は両手で口元を覆った。
「…吐きそう」
「おい!?」
メンバーが「どうした?」と振り向く中、跡部は咄嗟に宍戸を横抱きに抱えていた。
「こいつ、トイレ連れてくわ」
「平気か?」
忍足が心配してついて来ようとするのを「大丈夫」と断り、跡部は入り口横にあったトイレを思い出して走っていた。

「おい、大丈夫か?」
洋式の便座の前に座り込む宍戸だが、気持ちが悪いわりには上手く吐けないらしく、えずくばかりで辛そうだ。
背中に手を添え肩まで伸びた髪を顔に掛からぬよう押さえてやるが、傍で見られてたんじゃ吐きづらいかと思い、個室を出て扉を閉めてやろうとする。
「…あとべ」
立ち上がろうと背中に添えた手を離すと、縋るように宍戸が振り向き跡部の名を呼ぶ。
「居た方がいいか?」
「…ん」
真っ青な顔で頷く宍戸。
跡部は開きっぱなしの個室のドアを閉めると、宍戸の傍らに座りなおした。
「文句は後で聞くから、今は俺に任せとけ」
「…?」
不思議そうに見上げる宍戸を便器に向かせると、跡部は自分の指を宍戸の喉に突っ込んだ。

宍戸を吐かせた跡部はそのまま身体を抱きかかえ、飲み会を抜ける旨をみんなに告げるとタクシーで自分の家へと向かった。
指を突っ込まれた時にはさすがに驚いた宍戸だが、全て吐ききって楽になり洗面台で口を濯がせてもらっている頃には、もうウトウトとしはじめていた。
タクシーの座席で跡部の膝を枕に眠る宍戸は、すっかり顔色もよくなり落ち着いた表情で跡部のカットソーの裾を握っている。
「…ンな掴まなくたって、置いてきゃしねーよ」
そっと包んだ宍戸の手は効きすぎのクーラーに冷え切っていたので、跡部は自分の熱を与えるようにゆっくりと撫で擦った。
流れる景色を眺めながら、跡部は自然と綻んでしまう頬に自分は相当重症なのじゃないかと思う。酔いつぶれた宍戸の介抱を出来たことが嬉しいのだ。
普通は他人に見られたくないような姿を、宍戸は自分に見せてくれた。そう思うと優越感すら感じてしまう。
「…お前の老後の世話なら喜んで出来ちまうな」
跡部は本気でそう思えた。

翌朝。跡部のマンションでは美味しそうな匂いが漂っていた。
大学入学とともに一人暮らしを始めた跡部が、一度も自分で使うことの無かったキッチン。そこから包丁の音が響いてくる。
昨夜は眠ったままの宍戸をベッドに寝かせたため、リビングのソファで夜を明かした跡部は、掛けていたタオルケットを落としキッチンまで来ると、まさかと思って覗き込む。
「…宍戸?」
その声に、宍戸は包丁を持つ手を休めて振り向く。
「跡部っ!」
そしてパタパタとスリッパを鳴らして歩み寄ると、目の前で大きく頭を下げる。
「昨日はホントごめん!すっげー助かった」
「気にすんなって」
勢い良く俯いて乱れた髪を直してやりながらそう言う跡部だが、実は頭では全く違うことを考えている。
…これって新婚夫婦みたいじゃねェ?
そんな考えに跡部の顔がだらしなく緩んでいるのを、幸か不幸か俯いたままの宍戸は見ることができなかった。
「それよりお前、具合は?」
跡部の問いに、宍戸は顔を上げてニカっと笑う。
「俺、二日酔いには絶対ならないんだよな」
「それなら良かった」
そう言って苦笑する跡部の背中を、宍戸は洗面所に向けて押し出す。
「朝飯もう出来るから顔洗って着替えてこいよ。つっても、もう昼だけどなー」
寝坊しちゃったな、と。笑いながら料理の続きを始める宍戸。
その後ろ姿に、跡部はやっぱり新婚夫婦みたいだ…と浸っていたのだった。

そんなことがあってからすぐに付き合い始めた訳ではなかったが、あの日を境に明らかに宍戸は跡部に甘えるようになっていった。
酔いつぶれて吐くのを見られたってだけでもみっともないのに、ましてや吐かせてもらっただなんて。もうどんな自分を見せても跡部なら大丈夫という思いが、自然と宍戸の中に根付いていったのだ。
それまでは「前向きで諦めない自分」という姿以外を見せる事が恥ずかしいと思っていた宍戸だが、跡部にだけは愚痴ったり弱気になったり。嬉しいことがあれば飛びついて喜び、時々弟気質が顔を出して無意識に甘えてみたりもする。
そうやって、気づいたら隣にいるのが当たり前になっていた。

「俺が必死の覚悟で『付き合おう』って言ったら『もう付き合ってるんだと思ってた』なんて、暢気な事言ってたよな」
空になった梅酒のグラスを置くと、跡部は目の前でうつ伏せて眠る宍戸の髪にそっと触れる。
あの時は肩までしかなかった髪が今では背中まで流れ、跡部が宍戸を好きになった中学生の頃と同じ長さになった。
スー、スーと規則正しく漏れる寝息。
相変わらずの酒の弱さに、跡部はくくっと小さく笑う。
「また、俺の楽しみを増やしてくれたな…」
そう言うと、気持ち良さそうに眠る宍戸を起こさないように抱き上げる。
あの時も今も、酔ってしまった宍戸を介抱するのは跡部の大好きな時間だ。
仕事の続きは宍戸の寝顔を眺めながらにしようと、そんな思いつきに跡部は幸せそうに微笑んだ。


 すっかり忘れられていた「社会人シリーズ」を久々にUPです。
シリーズと言いながら、もはや「職業&同棲設定」が同じだけの別物です。何がって跡部の性格が(笑)。
最初は頑張って「俺様」してたらしいけど(読み返してビックリ☆)、今回の跡部の甲斐甲斐しさったら…!
まあ、そういう訳で(どーゆー訳だ…)、このシリーズはこんな感じに統一性は無くなると思われます。

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