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シリーズとありますが、単独で読めます。

忍足は小説家、岳人はサラリーマンで二人は同棲しています。


恋愛小説(忍×岳)
~氷帝社会人シリーズ5~

「ゆうし?ゆーし…」
仕事部屋の外から小さく自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、忍足はキーボードを打つ手を止める。
「がっくん…?」
まさか、こんな時間に…。
デスクの端に置かれた時計を見れば、夜中の2時だ。
岳人は普通のサラリーマンだから、こんな時間に起きることはまずない。
聞き間違えだろうと納得して、忍足は再びパソコンの画面に視線を落とす。
小説家として生活を始めてからは、特別な用事でもないかぎり夜と昼が逆転した生活だ。今は一番仕事が乗ってくる時間帯である。
「ゆーし?」
「がっくん!?」
やはり聞き間違えでは無かった。
遠慮がちのノックに、忍足は慌てて立ち上がる。そして、急いでドアを開けた。
大雑把な性格で、日ごろの生活から「気配り」なんて言葉は連想も出来ない岳人だけれど、唯一気を使ってくれるのが、忍足の仕事中は絶対に邪魔をしないということだった。
だからこうして、遠慮がちにでもノックをしてくることですら、ひどく稀なことだ。
「どないした?がっくん?」
呼びかけてみたものの、やはり仕事を中断させたことが気にかかるのか、岳人はいつものように忍足の腕の中に飛び込んでは来ない。
「ごめん。邪魔して」
そう言って気まずそうに俯くから、忍足は自分から手を伸ばした。
忍足としては、仕事中にそんなに気を使ってもらわなくても大丈夫だと思っていたが、岳人なりの優しさが嬉しくて今まで何も言わなかったのだ。
(そやけど、こんな顔色になるまで遠慮しなくたってええのに…)
抱きしめた小さな身体は、集中できるようにとわざと冷え切った部屋の中で仕事をしていた忍足よりも、もっともっと冷たくなっている。
「…ゆーし」
張り付くようにして背中に回された手が、小さく震えているのが分かる。
胸元に寄せられた頬からも、微かな振動と、そして温かな涙を感じた。
「泣いてるんか?」
かつて試合で負けたとき、全国大会へ進めた時、ころころ変わる表情と一緒に何度も見ることのあった泣き顔だけど、こんなに押し殺すような切ない涙は知らない。
「何があった?」
随分前なら岳人の生活と自分の生活はとても密着していて、鬱陶しいと言われるくらいに近くにいたから、こんな風に不安になることは無かった。悔しいけれど、今の忍足には涙の理由が少しも想像つかない。
「仕事で辛いことあったんか?」
営業という仕事に就いて、忍足の全く知らない世界で1日のほとんどを過ごす岳人。多くの人間に出会い、揉まれ、時には心無い言葉を浴びることもあるのだろう。
けれど、考えつくどれもこれもが、ふわふわ姿を変える雲のように正体があやふやで、少しだって慰めてやれそうにない自分に、忍足は情けなくなる。
結局、ただ力強く抱きしめることしか出来ないのだ。
すると、「…よかった」と。
腕の間から、岳人の消え入りそうな声が聞こえる。
そしてもぞもぞと顔を出し、ゆっくりと忍足を見上げたその頬には、やっぱり涙の跡が見えるけれど、それでもその表情はほっとしたように微笑んでいる。
「がっくん?」
不思議そうに忍足が問いかければ、岳人は急にいつものような勢いで、まるで忍足を締め上げるように抱きついてくる。
「痛い痛い」
忍足は苦笑いして、でもその手は安心したように岳人の後頭部を何度も撫でた。
「今日会社で、隣の課の女の子にお前の小説の話聞いたんだ…」
「俺の?」
「うん」
生活できるくらいには売れ始めて、そこそこ「小説家、忍足侑士」で名前を知られるようにはなってきたが、岳人が忍足の小説について話すのは初めてだ。
「侑士の書く恋愛小説はアンハッピーがほとんどだけど、その美しさや胸を締め付ける切なさが女性の心を捉えて離さないんだって…。その子が言ってた」
「ああ、まあ。そうやな…」
本の帯や、宣伝のコピーは勿論出版社の担当が考えてくれるのだけれど、「美しい」「甘く、切ない」は今や忍足の本を語る上での常套句になりつつある。
「侑士の頭の中には、いっぱい、色んな『別れ』のカタチがあるんだなって思ったら、急に不安になったんだ」
「…がっくん、それは」
慌てて口を挟む忍足の唇にそっと指を押し当てその言葉を遮ると、岳人は微笑んで続ける。
「分かってる。それが仕事だし、勿論想像の世界だってな。でも、俺にはたった一つだって『別れ』のシチュエーションは浮かばないんだ。俺はいつだって、笑ってる俺と侑士の姿しか想像がつかないから…」
「俺だってそうや。岳人との別れだなんて一度だって想像したことないで?」
縁起でもない岳人の言葉に、忍足は自分の口を塞いだ手を押し退けて早口で言い切る。
「分かってるって…。ただ、ほんの少し不安になっただけ」
「…ほんまか?」
「本当。侑士が抱きしめてくれたら、さっきまでの不安が嘘みたいに消えちまったよ」
「がっくん…」
忍足はもう一度、強く抱きしめる。
いつもなら「ゆーし、しつこい!」と怒鳴り飛ばされるところだが、今夜ばかりは岳人も安心したように頬を寄せる。
「家帰って来た時から、ずっと不安に思ってたんか?」
「…うん。仕事中もずっと」
「そうか。ちっとも気づけへんで…。堪忍な?」
「ううん。俺が言わなかっただけだし…」
そう返事した岳人の声は段々語尾が小さくなり、背に回る手が力なく滑り落ちる。
「がっくん!?」
カクン…、と膝の力が抜け崩れ落ちる小さな体を、忍足は慌てて抱き上げるように支えた。
「ん…」
小さく、唇から零れる声。
「…寝とる」
もう何時間も不安を抱えていた岳人は、安心したと同時に睡魔に襲われてしまったようだ。
「一日働いて来たんや。眠くて当然や…」
忍足はくすくすと笑みを漏らし、すっかり眠りに落ちた岳人を抱き上げる。
そして、自分たちの寝室へと足を向けるのだ。
「朝まで添い寝したるからな、がっくん」
愛する人が不安を抱えているのに、放ってなどおけない。
いくら「安心した」と言ったって、悪い夢でも見やしないかと今度は忍足の方が心配でならない。
「がっくんが隣で笑ってくれるから、俺は安心して仕事ができるんやで?」
そう言って忍足は、その腕を枕に愛する人をそっと横たえる。
目覚めて一番に、朝日を浴びて幸せそうに笑う岳人を抱きしめられるように。
「安心して、ゆっくり休み…」
忍足は優しく、可愛い寝息をたてて眠る、小さな身体を抱き寄せた。


久々の忍岳でした。
このシリーズは設定だけシリーズで時系列は全く考えていません。何歳設定なのか…とか、突っ込まないで頂けると有りがたい(汗。

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