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まだ手塚は出てこないです…。
次回は必ず!

置き去りの季節2(不二&青学)

数年ぶりに不二の姿を見て、真っ先に涙に顔を歪めたのは英二だった。
「ごめんね」と微笑む不二に「…いい」と小さく答えると、英二は自分より一回り小さいままの胸に、縋るように顔を埋めた。
あの頃と変わらない跳ねた髪に指を埋め強く抱き寄せると、懐かしい英二の香りが不二の胸を締め付ける。
太陽と甘い整髪剤の香りは、英二が共に過ごした日々と変わっていない事を証明しているようだった。
「ずっと会いたかったんだよ、不二」
英二はその存在を確かめるように、不二の頭を肩を何度も撫でる。
「うん。心配かけてごめんね」
「本当だよ…っ」
待ち合わせた懐かしい駅前で、河村も乾も、そんな二人を感慨深く見守るように、瞳を細める。
そして、遠慮するように距離を保っていた大石も、英二の涙が収まるのを見届けると、待っていたかのように傍らに歩み寄った。
「不二、俺たちもずっと連絡を待っていたよ」
「大石…」
「…少し痩せたな、不二」
「タカさん…」
河村は困ったように眉を下げて、薄いシャツでは隠しきれない尖った不二の肩に、分厚い掌を置く。
「俺、もう父ちゃんと一緒に寿司を握ってるんだ。これからはたくさん不二の好きなネタ握ってあげられるよ」
そう言った眦には、ほんの少し光るものが浮かんで見えたような気がした。
「…まったく。俺たちの気が長かった事に感謝してほしいな」
「乾…」
大仰な溜め息をついて最後に声を掛けた乾は、英二がかき混ぜて乱れた髪を優しく解くように、けれど少し力を込めて、相変わらず小さな不二の頭を撫でた。
「まあ、結局俺が待ちきれなくなって、跡部に連絡をしてしまったけどな」
「ありがとう、乾。跡部から話は聞いたよ」
メンバーの中で誰より近い距離で生活をし、それでも連絡を取らずに我慢するのは、きっと辛い事だったろうと、かけがえのない仲間を前にして不二は改めて気付かされる。
「不二の気持ちが理解できなくもなかったからね。正直、あの頃はなんて声を掛けていいのか分からなかったのが正直なところなんだ」
そう苦笑する眼鏡の奥の瞳は、きっと優しく細められているのだろうと思うと、不二は奥歯を噛みしめて軽く頭を下げた。
「…あの頃、僕だけが辛い訳じゃなかったのに、自分の事だけで一杯になっちゃって」
きっと、恋心に近かったのだろう想いも、今だからこそ素直に口に出来るのかもしれない。
あの時は、手塚が発ってしまったあの時は、自分でさえ気付いていなかったそんな感情も、時間とともに「懐かしい」想いと整理がついたから…。
だからこそ「辛かったのだと」認められる。
誰よりも手塚の傍にいて、きっと誰よりも信頼されていたと感じていた日々。
裏切られたように感じてしまったのは、自分が手塚のように未来までをも考える事が出来なかったから。
今だからこそ、そう納得できた。
「お互い積もる話は色々あるだろうけど」
乾は言葉を切って空を見上げた。
初夏の日差しが、しんみりとした空気をはねのけるように、懐かしのメンバーたちをジリジリと照らす。
「場所を変えようか。こう暑くてはかなわない」
雲ひとつない空は酷く眩しくて、不二は瞼を閉じた。
ここから、ようやく新しい生活が始まる予感がする。

移動した店は、乾が良く行くというお気に入りの喫茶店だった。
いまどきのお洒落なカフェではなく、昭和の雰囲気を残したその喫茶店は、本を持ち込んで読書にふける人が目につくような、そんな落ち着いた店だ。乾らしいなと思う。
大の男が5人連れ立って入っても、席に困る事は無い人気も疎らなフロアの端を陣取って、漸く不二たちは一息吐く。
「あー暑いっ!今からこんなんじゃ夏はどうなっちゃうんだろ」
英二は運ばれた水を一気に飲み干すと、シャツの襟元をつまんでバタバタと涼しい空気を送り込む。
「英二は大げさなんだよ。家でだってもうクーラーを使ってるんだから」
大石はそう、呆れたようにぼやいた。
久しぶりに顔を合わせても、すぐあの頃のように自然と笑いあえる事に、不二はくすぐったい気持になる。
思っていた以上に、自分たちは「仲間」だったのだ。
人の一生からすれば、きっと5年程度は決して長くない時間なのだろうけど、時間だけでは測れない濃密な時間を過ごした事実は、きっとこういう所に表れる。
「英二と大石は一緒に住んでるんだよね?」
不二が笑顔で尋ねれば、英二はまだまだ幼い表情で大きく頷いた。
「そ。俺が料理担当で、大石が掃除担当。つっても、大石は毎日大学で遅いから、あんまり一緒に過ごす時間はないんだよね~」
「まあ、大石は医学部だもんな。すごいよな」
河村は感心したように何度も頷く。
「そうは言っても所詮学生だから。よっぽどタカさんの方が大変だろ?もう立派な職人じゃないか」
大石の言葉に、河村ははにかんだ。
「大変だけど、成りたくてなった職だからね。毎日が楽しいよ」
「趣味を職にするのはどうかとずっと思っていたが、タカさんを見ているとそれも幸せなんじゃないかと思えるようになったよ」
乾は、メニューを覗きながらひとり言のように言うと、誰の返事も待つこともなく「すみません」とウェイトレスに声を掛けてしまう。
そんな相変わらずなマイペースさに、メンバーは肩をすくめて微笑み合う。
「乾は、今でもデータと首っ引き?」
そう尋ねれば、乾は隣に座る不二に視線を向け、ほんの少し微笑んだ。
「…何だか、こうやって見上げられるのが懐かしいな」
「そうだね」
テニスコートの外から、良く隣同士試合を観戦したものだ。あの頃肌身離さず身に着けていたデータ用のノートは、結局一度も見させて貰えなかった。
「俺は今、大学で物理学学んでてな。お世話になっている先生の勧めで大学院まで進もうかと思ってる」
「じゃあ、乾は本当に『博士』になるのかな?」
英二の言葉に、乾は珍しく照れくさそうに首を振った。
「懐かしいあだ名を持ち出すね。ま、先の事はまだ分からないけどな。そういう英二は?」
そう切り返されると、英二は嫌そうに表情を顰めた。
「も~どうしたもんか困ってるところ!でも、普通に就職活動するけどねェ。不二は?」
もう耳慣れた質問に、不二は笑顔で首を振る。
「僕も全然。特別目指す道もないし、やっぱり英二と同じで普通に就職活動するよ」
「あーあ。何だか、あっという間にそんな年齢なんだな」
少し寂しそうな顔を見せる大石に、英二は唇を尖らせる。
「よく言うよ!大石なんて、もう誰より社会人みたいに忙しい生活じゃん!ちっとも遊びに行けない」
「仕方ないじゃないか。勉強しなきゃ医者にはなれないんだから」
「わかってるけど!」
他愛もない言い合いも、ちっとも変わらない二人に、不二はふっと瞳を曇らせた。
そう、この景色に足りない、何よりも大きなパーツを想って。

「…手塚は、どうしてるのかな。これからどうするのかな」

「不二…」
不二を気遣って、誰もが口にしない事には当然気付いていた。
でも、このメンバーで手塚を抜きに何かを語ることなんて出来ないのだ。
何よりも、誰よりも中心にいた人なのだから。
「手塚はまだまだこれからだよ。漸く怪我が良くなったんだ、もっと活躍して貰わなきゃ!」
不二の口から手塚の話が出た事に驚きつつも、大石は嬉しさを隠せないように、テーブルの上で堅く拳を握る。
「それに、おチビもね!」
英二も釣られて声を強くすると、河村は可笑しそうに笑う。
「越前はすっかり大きくなって、もうおチビじゃないけどね」
「そうだった!俺も、もう身長抜かされちゃったかな」
そう言って悔しがる英二に「そうだろうな」と、乾は素っ気なく返した。
「く~、ムカつく」
余裕ぶった乾の表情に、英二はお手拭きを投げつける。
「本当の事だから仕方がない」
それでも楽しそうな乾は、英二を軽く往なして、不二に視線を投げた。
「ところで不二は、手塚に会えるなら会いたいかい?」
「え?そりゃ、まあ」
あまりに当たり前すぎる質問に、不二はその意図を把握しかねる。
けれど、他のメンバーはその質問に疑問を感じないようだ。
「え?え?何?みんなは会いたくないの?」
不二の言葉に、英二は隠しもせずに不機嫌さをあらわにする。
「会いたいけど!あの時の不二の気持ち考えたら、まだ腹が立つっていうかさ…」
「僕の、気持?」
大石と河村は困ったように顔を見合わせるだけだ。
「実は、手塚がドイツに発った時、俺たちは結構早くにその決定を聞かされていたんだ。手塚自身からね」
「…え?」
不二は、乾の意外な告白に言葉を呑んだ。
どういう事なのか、考えがついて行かない。
「不二だけ、手塚がドイツに行く事を直前まで聞かされてなかったってことを…、俺たちは知らなかったんだよ」
気遣うような大石の声に、河村も小さく頷いた。
「手塚には手塚の考えがあったんだろうけどね」
「…まあ正直なところ、俺たちはその事実に腹を立てた時期もあったんだ」
乾は、遠い日の出来事を語るように、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
「…不二?」
言葉を無くした不二に、英二は心配そうに顔を覗きこむ。
「え?あ、ああ大丈夫」

そう、大丈夫。
よっぽど、胸をつかえていた何かが溶けて行くようだった。
あの頃は、自分自身が何に対してこんなにも悲しくて寂しくて辛いのかが分からなかった。
急に世界が色を無くしたように、テニスというものが、それを中心に回っていた生活が、つまらないものに見えてしまって、それを認めたく無くて。受験のせいや、仲間が部活を去っていくせいにして、見つめ合う事をしなかったのかもしれない。
それが、2年の月日を経て漸く、あの感情は「残された寂しさ」だったと理解出来たのだ。
きっと自分よりも周りの人間の方が気付いていただろう、不二の手塚に対する憧れ、そして淡い淡い恋心。
だからこそ、皆は今まで不二の事を放っておいてくれたのだろう。乾は「どうしていいか分からなかった」と言っていたが、やはりそれは、仲間だからこその優しさだったと不二は強く感じる。
何よりも、誰よりも、深く感謝しているのだ。
そして今も、心配の表情で不二を見守ってくれる仲間たち。
そんな仲間を安心させるように、不二は心から微笑んだ。

「良かった。これで何だかすっきりした気がする」
「…不二?」
乾のほんの少しトーンを下げた呼び方は、きっと心配の証しだ。
手塚が去った後、こんな声で呼ばれたのを、今さらのように思い出す。
「あの頃僕は、メンバーの誰よりも手塚の近くにいたと思ってたんだ。皆がどう感じていたかは分からないけど、僕は、このメンバーの中で誰よりも手塚を理解出来るって、思っていたんだ」
「俺たちだってそう思ってたよ!だからこそ…」
英二は、自分の事のように悔しそうに唇を咬む。
「でも、僕は手塚が発つ事を直前まで知らされなかった。進路に悩む気持ちや、ドイツへ発つ喜びも、何も聞かされなかった。当然皆もそうだと思っていたし、それがすごく寂しくて、悔しくてさ…」
「そう、それが不思議なんだよ。だって、中学でテニスを離れた俺でさえ、随分前から手塚に聞いていたんだ。ドイツに行きたいんだって、なのに何で…」
もうラケットを持つ機会のない河村は、感情を高ぶらせる事は少ないはずなのに、それでも握りしめた両の手は、ほんの少し爪を食いこませて震えている。
「そうなんだよ、タカさん。こんな言い方失礼かもしれないけど、タカさんにさえ言った事を、何で僕には言わなかったのかって考えれば、やっと少しだけあの頃の手塚の気持ちに近づける気がする」
「どういう事だ?」
尋ねる大石の目を真っ直ぐ見詰めて、不二は続ける。
「きっと手塚は、僕にだからこそ言えなかったんじゃないかな。それは手塚自身が寂しかったからなのか、何なのか、僕には知る由もないけど。でもね」
「…でも?」
「でも、きっと僕の事を特別に見ていてくれたんだって、そう思うことにした。だからこそ僕にだけ言えなかった。きっと僕と同じように、あの頃の手塚にとって僕は多少なりとも特別な存在だったのだと思えば、何だかそんな手塚がかわいらしく思えてしまうんだ。だからもう大丈夫」
独特な、花の綻ぶような穏やかな笑みに、英二も大石も、そして河村も安心したように頷いた。
「そうだな、何だかんだ言っても手塚は俺たちと同じ子供だったんだ。仲が良いほど言えない気持ちっていうのは、分かる気がするな」
大石の言葉に、英二は「俺は言うけどね」と、意味ありげな視線を投げて、それでも晴れ晴れとした笑顔を見せる。
「何にしても、不二が納得いって元気になればそれでいいんだ、俺は!」
「そうだね、これでいつか手塚が日本に帰って来た時は、全員笑顔で迎えられるね。俺、沢山寿司握るから、久しぶりにみんなでパーティーでもしような」
「それ賛成!ね、大石」
「そうだな、英二。な、乾?」
大石が、じゃれつく英二を抱きとめながら乾に言えば、乾は意外にも笑顔を見せていなかった。
「乾?」
「どうしたの?乾」
4人の視線に、乾は「いや、別に」と首を振る。
けれど、何でもなくない事など一目瞭然だ。
「どうしたんだよ~、乾!」
明るい気分を殺がれて、英二が不満そうな声を上げる。
「乾…?」
「不二…」
居ずまいを正して、乾は隣の不二に向き合うようにその名を呼ぶ。
だから不二もつられて改まり、その拳を膝の上で揃えた。
「不二は、今から手塚が会いたいと言えば会う気はあるか?」
「…え?今からって」
乾の堅い言葉に、急に空気が張り詰める。
大石は急いで店内を視線で追った。
「いや違うんだ大石。ここにはいないんだが」
乾は、子供に言い含めるようにゆっくりと不二に語り掛け、視線を探る。
「実は手塚は今、日本に帰ってきている。極秘の帰国でこちらには今日と明日の二泊しかできないらしい。不二さえ良ければ、…会いたいと、手塚から連絡があったんだ」
「…日本に」
不二の脳裏に、新宿の電気店でテレビに映し出された手塚の姿が蘇る。
「そうだったのか、乾」
大石の声は、特別乾をとがめるでもなく、納得いったように落ち着いている。
「だから、今日だったんだね」
河村もそう呟いて、遠慮がちに英二に表情を窺った。
「ちぇ、手塚の奴。俺たちが許さなくたって、不二に会う気でいたんだ」
「…英二、もういいだろ?決めるのは不二なんだから」
「分かってる!」
「英二?」
きょとんとした不二の表情に、英二は諦めたように吐き捨てた。
「不二、手塚に会ってきなよ。本当は、あんなに不二を悲しませた手塚を許してやるもんか!って思ってたんだけどさ、でもさ」
「英二…」
きっと、不二の知らない所で、仲間たちがそれぞれ苦悩していたのだろう事を目の当たりにする。
中学時代からべったりで、大の仲良しだった英二からすれば、不二を苦しめた手塚は、同じ仲間だからこそ許せない気持ちがあったのかもしれない。
「ただ、別に手塚を許してあげてなんて俺は言わないよ!ムカついてるならそれをぶつけてくればいいんだ!ね?不二」
その微笑みは、あの頃と変わらないように思えたけれど、ほんの少し、男らしい頼りがいを増したように感じる。
「ありがとう、英二」
今の自分が手塚に対して何を言いたいのか、正直さっぱり思い浮かばないけれど、それでも、この機会を逃してはいけない事を不二は本能で感じる。
何より、ただ目の前に手塚を感じてみたかった。
生の声を仕草を感じてみたいのだ。あんなテレビ画面越しで無く。
「乾、僕手塚に会うよ。連れて行ってもらえるかな?」
「そうか、分かった」
乾は小さく頷くと、携帯電話を手に店の外へと出てしまう。
きっと、どう転んでもいいように、スケジュールを組んでくれていたのだろう。その行動の素早さから、やっぱり誰より乾が自分を気に掛けてくれてたのだろうと不二は確信した。
「乾は、本当にずっと心配してくれてたんだね…」
「ああ、そうだな。俺たちは神奈川に居るから、どうしても不二の状況がわからないだろ?乾はまめに氷帝の奴らにも連絡をとって、不二の事を本当に心配していたよ。だから、落ち着いたらでいいから、乾にはもう一度、直接お礼を言ってあげて欲しいな」
「大石…。うんそうだね。勿論そうするよ」
そして、乾はほんの数分で席へ戻ってきた。
「さあ、不二送って行くよ」
「うん」
立ち上がる不二の表情にも、そして見送る3人の表情にも、一瞬緊張が走る。
「行ってくるね」
少し堅い不二の声に、それぞれが無言で頷いた。
そして、二人の背中をただ見送る。
「やっと、二人の時間が流れ出すんだな…」
大石の呟きは、店の扉の軽やかなカウベルにかき消された。
 

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