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もしも不二が猫だったら…。

塚不二ってよりも、乾が出張っちゃってます。すみません。

i f(不二バージョン)

「あれ、手塚じゃないか」
人の事は言えないが、中学の制服にはそぐわない長身の背中に乾は声をかけた。
「…乾か」
恐る恐る振り向いた手塚の表情は、心もちほっとしたような雰囲気を匂わせる。
「寄り道なんて珍しいじゃないか」
「ああ、まあな」
「しかもその荷物は」
「…ああ」

部活が休みの今日は、ほとんどの部員が先を争うようにして帰宅した。とはいっても真っ直ぐ家へ帰るのではなく、ストリートテニスやらゲームセンターやら、週一日の放課後を有意義に使おうといった者ばかりだが。
そんな中、必ずと言っていいほど横道に反れずに下校する手塚が、常とは違う道を歩いていたので、乾は思わず声を掛けてしまったのだ。
「会ったのが乾で良かった」
「…だろうね」
手塚の両腕には少し大き目のバスケットが大事そうに抱えられている。
赤ずきんちゃんのお使いのようにギンガムチェックの布で飾られたそれは、手塚にはあまりにも不釣り合いだった。桃城あたりに見つかれば格好のネタにされ噂話を賑わせた事だろう。手塚が安堵するのも頷ける話だ。
しかもその中身ときたら。
「手塚、それってもしかして」
「ああ」
肘にぶら下げたスーパーの袋には、あらゆる種類の猫缶が透けて見えている。
「手伝うよ。そんな事で大事な肘をキズものにしたら泣くに泣けない」
乾は苦笑して、下げられた猫の餌と、ついでに学生鞄も奪い取る。
「悪いな」
素直に礼を言うと、手塚は残されたバスケットをもう一度大事そうに抱え直した。
きっと中に閉じ込められているだろう猫は、ニャンとも言わず、ただ運ばれるがままである。

「助かった。その辺に適当に置いて貰えるか」
「ああ」
部屋に通されると、乾は学習机の足元に手塚の鞄と猫缶を下ろした。
ガラガラと音を立てる缶詰は相当の数だ。種類はバラバラで、猫を飽きさせないようにというよりは、何を選んで良いのか分からずに手あたり次第買ったといった感じである。
「手塚、猫を飼い始めるのか?」
今までの付き合いで、手塚が猫を飼った経験があるとは聞いたことが無かった。
乾は正直意外だな、と思う。
手塚が目を細めて猫を愛でる姿なんて、何度挑戦したって想像できそうもない。
せめて犬ならば想像もつくのだが…。
飼い主に似た生真面目な顔をして、しっかりと訓練された犬が、手塚の足元に従い短い指示に機敏に反応する。短毛で細身で鋭い眼差しのそんな大型犬種。
それがどうだ。
手塚は堅苦しくバスケットの前に正座をすると、そうっと蓋に手を掛ける。まるで怯えるような手つきに、乾にまで不安が伝染してしまう。
「まるで未知の生物でも迎えるみたいだな」
乾のそんな軽口に、手塚は極めて真顔で振り返る。
「正しくそれだ」
手塚はあくまでも真剣に答える。

手塚の左手が、その蓋をほんの数センチ持ち上げた。
すると、その真っ暗な隙間から、ちょこんと何かが顔を覗かせる。
それは、小さな小さな猫の手。
白く小さな手の先が、待ってましたとばかりにバスケットの淵に掛けられた。
それからは早かった。
お許しが出た事を察知したのか、するりと猫が顔を覗かせる。
その頭で器用に蓋を押し上げ、白い長毛に覆われた猫がバスケットから抜け出た。
そしてその脇にちょこんとお座りすると、「にゃー」と小さな声で鳴き手塚を見上げる。
これからの飼い主をしっかりと理解しているようだ。そんな姿からその利口さが垣間見える。
「ターッキッシュアンゴラ、という種類だそうだ」
猫と向かい合い正座をしたままの手塚は、ひとり言のように話し出す。
「先日母の使いで知人の家へ届け物をしに行ったのだが、その時お茶を頂いてな。居間に通されて驚いたのだが、猫が沢山、それこそ10匹近くいて。人慣れしているのか初めての俺にも構わずに寄ってきたんだ」
珍しく饒舌な手塚は、やはり戸惑っている証拠なのだろう。
何だか面白い展開に、乾は「それで?」と先を促す。
「ああ。その内の一匹がこいつでな。中でも一番綺麗な顔をして、真っ白な長毛が自慢で、とても大事に育てていたそうだ。控え目な性格で鳴き声も小さいのだが、飼い主には良く懐き、それは上品で良い猫だと…」
なるほど大人しい猫なのか、手塚と乾が話す姿を目を細めて眺めつつ、その場を少しも動かない。ちゃんと話を理解していて、終わるのを待っているかのようだ。
「それが、どうして手塚の元へ?」
「あの日は珍しく、こいつが我先に動いて、俺の傍に寄って来たそうだ。いつも他の猫の動きを傍観しているような所があるくせに、あの日ばかりは一番最初に俺の元に寄り、そして俺の膝から離れなくなってしまったんだ」
「へえ」
動物に好かれるようなタイプにも見えなかったが、猫というのは手塚のような物静かな人間の方が良いのだろうか?
確かに猫は、賑やかで何をしでかすか分からないような子供には近づかない所はあるが…。乾はもう一度、まじまじとその猫を観察する。
小さな顔に真っ白な長毛。首周りの毛が特に豊かで襟巻を巻いているようだ。全体的には細身で、品の良さが窺える。
不躾な乾の視線を受け止めるように見つめ返す瞳は、綺麗なアーモンド型。
まるでこちらが観察されているようで、心落ち着かなくなる。
「こいつは、俺が帰った後も、ずっと俺の座っていた場所から離れず、とても悲しそうに玄関の方を見つめていたそうだ。また俺が来るのを待ち望むかのように」
そう言うと、手塚は手を伸ばし、まるで人の頬を撫でるように白猫に触れる。
すると、ずっと待ち望んでいた宝物を手に入れたかのように、猫はその手にすり寄り、うっとりと瞳を閉じたのだ。
「玄関を寂しげに見つめる日々がずっと続いたらしくてな。見かねた飼い主から連絡があったんだ。是非俺にこの猫を飼ってもらえないかと」
「なるほどね」
腰を上げた白猫はゆっくりと手塚の膝元に歩み寄る。すらりとした脚が綺麗で、音もなくすり寄る姿に、知らずため息が洩れてしまう。
「手塚が大好きでたまらないって感じだな」
「オスなのに、こんなに男性に懐くものなのだな」
「オスなのか?」
乾が驚いて声音を上げると、猫は「どうしたの?」といった表情で乾に視線を寄こす。少し首を傾げる姿は何とも愛らしく、乾は勝手にメスだと思い込んでいたのだ。
「オスと聞いたぞ。名前は周助」
「そうか、周助か」
乾が呟けば、猫は自分の名が呼ばれたと分かるのか「にゃあ」と小さく返事をする。
成体とはいかないまでも、子猫と呼ばれる時期を過ぎた猫には、すっかりその名が定着しているようだ。
何だか似つかわしくない男らしい名前だな…などと、思わずこぼれそうになった言葉を乾は呑み込んだ。

そんな戸惑いばかりの初日から、そろそろ1カ月が経とうとしている。
今ではすっかり扱いも慣れて、その柔らかな身体を抱きしめる事も出来るようになった。最初は力加減が分からずただ撫でることしか出来なかったが、周助は「怖がらないで」と言うように自分から手塚の腕に飛び込んだのだ。
それからはもうべったりと、時間が許す限り周助を抱きながら部屋で過ごすことが多い。
気持ち良さそうに目を細めるから、優しく抱き上げ、抱きしめて。
朝晩のブラッシングは、今では手塚の楽しみの一つだ。
頭の良い猫なので、夜はちゃんと自分用に用意されたクッションに丸まって眠るのだが、それが寂しくて布団に連れ込んでしまったのは手塚自身だった。
そして今、周助は手塚の腕枕で小さな寝息を立てている。
「まいったな」
目に入れても痛くないとはこういう事なのだろう。猫可愛がりもいいところだ。
ペットの飼い方としては、あまり宜しくないと理解はしている。
「頭では分かっているのだがな…」
目の前の桃色をした鼻先を、自分の鼻先でつついてみる。
先に眠ってしまうなんて、寂しいじゃないか…と。
言葉にしない手塚の催促に、周助はうっすらと目を開けた。そして「ごめんね」というように手塚の鼻先を舐める。
これでは、猫にあやされているのは自分の方だと、手塚は小さく笑った。
「周助、俺のこんな姿はお前しか知らないのだからな」
二人きりの部屋で内緒話のように囁けば、そんな特別を喜ぶように、周助はもう一度、今度はその唇を優しく舐めた。

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