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不二、お誕生日おめでとう!!

不二受月間、最後のお話は塚不二です。

甘い夢(塚×不二)

管理人から預かったばかりの冷え切った鍵で、年季の入った重厚な扉を開けば、暖かな空気が玄関先まで流れてくる。
管理人の細やかな気配りは変わっていないようだ。
二人は用意されたスリッパに履き替え、5年振りの別荘の廊下を慣れた足付き進む。

「…懐かしいな」
不二は手にした旅行鞄をソファの上に置き、あの夏と変わらぬリビングをぐるりと見回した。
ソファや多少の調度品は当然入れ替えただろうが、それでも中学時代の合宿風景が鮮やかに蘇る。
あの時は、そう、レギュラー全員がテーブルに犇めき合って、誰がソファのどこに座るかなんて、そんな些細な事で言い合っていたっけ。
「随分無理させたんじゃない?」
振り返る不二に、手塚は小さく首を振った。
「そんなことは無い。かえって『やっと来てくれたか』と喜ばれた」
「それなら良かった」

手塚の親せき筋にあたるという管理人は、まだ自分らが中学生だった頃から、手塚の事を熱心に応援してくれているファンの一人だ。
食べざかりの中学生9人を、嫌な顔せず楽しそうに面倒見てくれたのを思い出す。
「サイン置いて行ったら、叔父さん大喜びじゃないの?」
「…ああ、最初に電話した時にさっそく念を押された」
苦笑いの手塚に、不二はプッと噴き出した。
「そんな顔しないで。大切なファンだよ?何せ年季が違う」
「そうだな、有難いことだ」
手塚の瞳が穏やかに細められた。

「それにしても…」
不二は窓際に歩み寄り、曇ったガラスを指先で拭う。広がる庭には、だいぶ雪が残っている。
「まさか、手塚がこんな時期に連絡寄こすなんて、叔父さんも思っていなかっただろうね」
わざわざこんな寒い時期に帰国するなど、きっと別荘を管理する叔父は驚いた事だろう。そう、不二自身とても驚いたのだ。
ただでも2月の寒い時期、ましてや軽井沢と言うのだから。
周りの別荘は軒並み入口を閉ざし、管理の行き届かない宅は雪に覆われたままというのも珍しくない。
けれど、この別荘は駅からも程近く、近くを国道が走るので、来る道は思ったほど雪は残っていなくて助かった。

「今年は、どうしても帰ってきたかった」
そう言うと、手塚は静かに歩み寄る。
「どうしても、な」
そっと耳元で髪を掬う感触に、不二は手塚の横顔を見上げた。
いつもテレビ画面の向こうで、力強くラケットを握る左手が、今は自分の髪に優しく触れるのを、何だか不思議に感じる。夢のような、物語の中に入り込んでしまった様な。
現実のはずなのに、どこか宙に浮いているみたいで心もとない感覚だ。
パン!と大きく手を叩かれたら、いつもの大学生活に戻ってしまう気がする。
「そんな顔をするな」
手塚は何故か、照れたように視線を逸らす。
「手塚…?」
離れて行く手塚の手を、不二は思わず掴んだ。
「どうした?」
「…何でもない」
微笑む手塚に、今度は不二が頬を染め、慌てて手を離す。
「そうか?」
「…うん」
そんな不二に、何か言いたげな表情を見せた手塚だが、それも一瞬の事。「そろそろ荷物を片付けるぞ」と言いソファへと戻って行く。
不二は「そうだね」とおざなりの返事をしながら、そっと自分の右手を広げて見た。
なぜ、咄嗟に手塚を引きとめるような事を…。
だって、手塚に触れたのはいつぐらい振りだろうか?
チームメイトとして戦っていた頃は、何度もあったかもしれない。
ハイタッチをし、握手をし。タオルや、ドリンクを渡す時など、不意に触れる事もあっただろう。
けれど、それ以降は記憶に無かった。
手塚がドイツに発ち、会うのは年に数回。
帰国時にいつものメンバーで食事でもすれば触れあう事もあったかもしれないが、そう言えば手塚はいつも遠い席だった。
皆手塚の話が聞きたくて集まるため、自然と手塚はお誕生日席に座らされてしまうから。
不二は我先にと話を振るタイプではないので、自然と話は英二や桃城を中心に広がって行く。
そう、だから、こんな不思議な感覚を覚えるのだろうか。
― 何故、手塚は不二一人をこの旅行に誘ったのだろう。
見つめる手塚の背中は相変わらず感情が読み取れず、淡々と荷物を仕分けて行くばかりだ。

「不二、一応上の個室も整ってはいるそうだが、どうする?」
「え?ああ…」
急な質問に、不二は瞬きをして頭を切り替える。
そう、この別荘はリビングの続き部屋にベッドルームが一室。そのほか上の階に4室が設えられており、それぞれ二人ずつ休めるようになっている。
「二人だし、1階だけで十分じゃない?無駄に暖房付けるのもどうかと思うし」
「…そうか。そうだな」
頷く手塚は、さっそく荷物を手にベッドルームへ入って行く。
そのあまりに自然な態度に、不二は小さく頭を振り、正体の分からない感情を振り払う。

本当は、先月手塚に電話を貰った時から、気になって仕方が無かった。
二人で旅行というのにも正直驚いたのに、今年は閏年だ。
今日は2月28日、そう明日は不二の誕生日。
「意味なんて、あるのかな…?」
そんな不二の呟きを打ち消すように、大きな音が部屋中に響き渡る。
ボーン・ボーン・ボーンと、3つ。
「ああ、これ!」
大きくても、それは決して耳障りな音では無い。優しく響き渡る柱時計の音だ。
「懐かしいだろう?」
居間に戻った手塚が、目を輝かせる不二に微笑んだ。
「僕、この音好きなんだ」
「皆は煩がっていたがな」
「そうなんだよねェ」
合宿の夜、1時間ごとに鳴る時計に、最初に悲鳴を上げたのは英二だった。
「あれでいて、結構繊細なんだな」
誰より平気そうなのに、と真顔で失礼な事を言う手塚に、不二は思わず噴き出した。

その後、近くの美術館を覗いたり、雰囲気の良い喫茶店でお茶をしたり、のんびりと午後を過ごして別荘に戻れば、リビングのテーブルには温かい夕食が所狭しと並べられている。
「美味しそう」
「そうだな」
「叔父さんは?」
見渡してももうその姿は無く、テーブルの隅に置かれた色紙とペンだけが、叔父さん自身がここへ料理を届けてくれた事を教えてくれる。
「あの時もそうだけど、控え目な方なんだね」
目いっぱいの愛情を感じる料理。けれど一度たりとも、出しゃばって会話に入ったりはしなかった。
「これでもか?」
手にした色紙には「国光くん、よろしく頼むよ」とメモが付いている。
「それぐらい、お安い御用だろ?」
不二は手塚の肩を軽く叩いて、手を洗うために洗面所へ急ぐ。
「冷めないうちに頂こうよ」
横をすり抜ける不二の笑顔がとても楽しそうで、手塚はつられる様に頬を緩めた。
こんなに穏やかな気持ちになるのは随分と久しぶりな気がして、手塚は手にした色紙を書き終えると大きく伸びをする。
あまりの心地よさに、胸の隅に抱えた大きな覚悟が、ほんの少し揺らぎそうになってしまう。
手塚は、軽く自分の頬を叩いた。
例え心地よい距離感が崩れてしまったとしても、もう後戻りはしないと、ドイツを発つ時に決めたのだ。

あれだけ並んだ食事も、成人男性二人にかかれば綺麗に片付いて行く。
とは言っても、身体が資本の手塚の方が大部分を受け持ち、それでも不二にしてみればここまで食べたのは久々の事だった。
「美味しかった~。もうお腹いっぱい」
「味付けが濃すぎないから量が頂けるのだろうな」
「そうだよね。でも、普段体を動かさない僕にとってはちょっと食べすぎかも…」
お腹をさする不二の姿がどこか幼くて、あの頃とダブる。
もう5年も経ったなど信じられない位、手塚にとっては目まぐるしく時が過ぎて行った。
それでもこうして変わらず笑いあえる事が、どれ程素晴らしい事なのか手塚は分かっているつもりだ。
けれどそれ以上に、変わらず触れ合う事のできない事が、どれだけ辛いかも痛いほどに分かっている。
「…ああ、もうこんな時間だな」
柱時計を見上げれば、もう10時を回っていた。
「お風呂先にどうぞ。僕は食休みしてからにするよ。流石に苦しくて」
苦笑する不二の頭にポンと掌を乗せ、軽く撫でてから手塚は腰を上げる。
「その方がいい」
いってらっしゃい、という不二の声に手塚は小さく頷き、もう一度柱時計を見上げる。
あと2時間弱で、今日が終わる。

不二が風呂からあがれば、リビングのテーブルはすっかり片付いていた。
「あれ?また叔父さんに会えなかった」
「ああ、つい先程片付けに来てくれてな。朝食まで置いて行ってくれた」
「至れり尽くせりで申し訳ないな。手塚、サイン10枚くらい置いて行けば?」
悪戯な笑顔を零せば、手塚は一瞬目を丸くしてから破顔した。
「まったく、お前は面白い事を言う」
「本気なのにな」
拗ねたように言って顔を逸らした不二は「そうだ、お酒飲む?冷蔵庫に揃ってるみたいだし」と、急に話題を変えた。
真っ直ぐ向けられた手塚の満面の笑みが照れくさくて、無理に逸らした話だったが、意外にも手塚は乗ってくる。
「そう思って、先程買ったワインを涼しい所に置いておいた。不二も、ああ…あと30分もしたら二十歳だしな」
ワイナリー直営店のお勧めなのだからきっと旨いだろうと言い、手塚は立ち上がる。

リビングでは温くなってしまうからと、手塚がワインを玄関先に置いていたのを不二は気づいていた。
だから、もしかしたらそれはお土産ではなく、この旅行で、そう今夜呑むつもりなのかな、と。心のどこかで分かっていた。
「…僕の誕生日、覚えていたの?」
問いかける声はいつもと同じはずなのに、急に喉が乾いて張り付くようで、不二は唾を呑んだ。
「ああ。閏年の2月29日生まれなんて、珍しいしな」
そう答える眼鏡越しの眼が、余りに静かで。
どうしてここで笑ってくれないのだろうと、不二は目を閉じる。
つい先程まで寛ぎ笑顔を覗かせていた手塚が、コートで見せるような静かな表情を見せるから、もうその目を見れなかった。
「…不二、腰掛けたらどうだ?」
「そうだね…」
ソファの隣をポンと叩いて示す手に、不二は吸い寄せられるように近づいた。
まだどこか現実味が無いから、素直に頷ける。
本当は、心のどこかでこの特別扱いを悦んでいた。
口では「何で?」と呟きながら、裏腹に、自分の誕生日だから誘ってくれたのだと、二人きりでお祝いしてくれるつもりなのだと。想像しては甘い陶酔に溜め息が零れた。
そう、どこまで行ってもそれは「想像」に過ぎなくて、だからこそ胸を震わせた。
まだ、その夢は醒めない。
だから、思うままに…。

「綺麗だろう?」
手塚がテーブルに並べたのは、揃いのワイングラスだ。
「いつのまに?」
「不二がチーズを選んでいる時に。折角のワインだからな」
「へェ、手塚にもそんな気配り出来るんだ」
「…お前は、時々失礼だな」
ムッとする素振りも特別に思えて、不二はワインを呑む前から酔ってしまったように、頭の芯がくらりと揺れた。
「好みが良く分からなかったから、白にしてしまったが良かったか?」
「大丈夫。…たぶん」
「多分?」
「ほら、一応僕まだ未成年だから。お酒の味なんて知りません」
「…良く言う。河村の所で散々日本酒呑んでいたのを気づいていないとでも?」
「あれ?まあまあ」
こんな掛け合いだって、何だか甘酸っぱくって。
このまま、この夢が醒めなければいい。
「ほら、手塚も。どう?これくらい?」
思い切り傾けたボトルからワインが流れ込む。淡い淡いゴールドの煌めきが益々夢心地にさせる。
「入れ過ぎだ。どこにこんなギリギリまで注ぐ奴がいる」
「平気平気!手塚お酒強いでしょ?」
「そういう問題じゃない」
呆れた声が優しく響いて、何故だか涙が溢れそうになった。
「どうした?不二」
咄嗟に目元を拭う仕草を、手塚は見逃さない。
「何でも無いよ」
「そうか?」
俯いた不二に手塚が心配そうに手を伸ばそうとしたその時。
リビングを、優しい音が包み込む。
ボーン・ボーン…と、今日の終わりを、そして不二の誕生日を告げる鐘の音。
4年に一度の本当の誕生日を、今、迎えた。

12回の鐘を黙って聴いていると、意外と長いなと言うのが率直な感想だ。
全てが鳴り終えた時、不二は気づかず詰めていた息を吐いた。
手塚も同じだったのか、小さく息を付き、そしてすっかり乾いた不二の眦をその指先でなでる。

「誕生日おめでとう、不二」
「…ありがとう」
触れた指先はそのまま頬を滑り、顎を下ってから不二の唇に触れた。
「…言っても、いいか?」
手塚の言葉はまるで謎かけで、不二は返事に困る。
首を傾げる不二に、手塚は目を細めた。
「その仕草に、どれだけ抱きしめるのを我慢した事か」
「…手塚?」

ゆっくりと、でも確かな力で胸元を押された。
スローに流れる視界は天井の綺麗な幾何学模様を映し、そして、それを隠すようにして手塚が覆いかぶさった。
額がぶつかるほど近くに顔を寄せて、手塚は不二の頬を優しく撫でる。

「好きだ」
「…嘘?」
「嘘じゃない」

手塚の掌は温かく、まるでまだ夢の中を漂うようで。
けれど、そのキスは確かな熱で、不二の唇を塞いだ。
そっと撫でるように触れて、止まる。
「…不二」
呼びかけると言うよりは、零れてしまった様な声。
それからもう一度、今度はもう少し深く唇を合わせた。

鐘の音と共に、夢は醒めるはずだった。
誕生日おめでとうと手を叩いて喜び、調子にのっていつもより多く酒を呑む。翌朝は二日酔いの頭を抱えて、互いにボヤキながら苦笑するのだ。
それが現実のはすだった。

「夢が、醒めない…」
流れる涙は、ソファに落ちる前に手塚の唇に囚われる。
「夢じゃない、不二」
「だって、こんなの、きっと夢だから」
「夢じゃないんだ、不二。…俺のものになれ」
いつもの手塚からは想像できない、少し乱暴な語尾。
涙に濡れた瞳を開けば、手塚は、痛みに顔を顰めるようにして不二を見つめ返す。
眼鏡の向こうの眼は、懇願していた。
「俺のものになれ」
「…手塚」
夢でも現実でも、もう何でも良かった。手塚さえいてくれれば。
不二は、強く、その背に腕を回した。

ずっと好きだったと、手塚は何度も囁く。
数え切れない口付けに蕩ける時も、熱い突き上げに朦朧とする耳元にも、手塚は今まで口に出来なかった想いを解き放ったように囁き続ける。
その度に、堪え切れないようにその柔肌を啜るものだから、数時間後の不二の身体は見事なものだった。
薔薇の花弁を散らしたかのような鬱血は、手塚の情の強さを表すようで、不二はまた甘い陶酔にひたる。

「不二」
抱き寄せる腕に従い、その胸に頬を寄せる。
「手塚」
穏やかにリズムを刻む、手塚の胸の鼓動。
「夢じゃない」
「ああ、夢にされたら困る」
囁く低音が瞼を擽り、不二は笑って眼を閉じる。
そんな不二に、手塚は繰り返した。
「無かった事になどさせないからな。お前は俺のものだ」
「…うん」
俺のもの、だなんて。
手塚らしくない言い方だからこそ、胸が締め付けられる。
「僕も、手塚が好き」
ひっそりと、まるで少女のように夢を見ていた。手塚に選ばれる日を。
本物の温もりを両手にぎゅっと抱きしめて、その香りを胸いっぱい吸い込む。
大好きな鐘の音だって、この時ばかりは耳に入らない。

「不二、…いいか?」
「ん…」
未だ醒めない熱を受け入れるべく、不二は火照った躰を差し出した。

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