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お久しぶりの千神です。

神尾くん、誕生日おめでとう!!

記念日(千×神)
 

新宿で渋谷で、池袋で。
どれだけ神経を張り巡らせたって、その姿を見つける事は出来なかった。
当たり前だよね。相手も時間も分かりきった待ち合わせだって、上手く会えない事がある賑やかな街だ。
彼の特徴的な髪形も、大学を卒業し社会に出てみれば、何て可愛い自己主張だったんだろうと思う。それくらい多くの人間が、それぞれのオリジナリティーで闊歩する。
いつからか、あの勝ち気な面立ちもおぼろげだ。
考えてみれば、出会ってからあの日の「別れ」まで、たった4年間だ。
彼が恋人として隣で微笑んでいたのはその半分、たった2年間。
あの頃は、生活の、いや人生の全てと感じていた彼の存在は、俺の24年の人生の内、たった4年間しか存在し得なかったんだ。
だから、酔えば偶に口にする程度で、「神尾くん、あれでいて意外と小心者なんだ。そこが可愛くて…」そこまで話すと必ず涙ぐんでしまうのは、俺と南だけの秘密だった。
ねえ、あの「別れ」は俺にとっては全く寝耳に水で、実は今でも「別れ」とは思っていない。
大体、君は笑ってたじゃないか。本当に想いの冷めた相手に、あんな笑顔が見せられるもの?演技力なら俺の方が上手だよ。だから、誰よりもポーカーフェイスが苦手な君が、それでも笑って「また来週」って言ってのけたのは、誰より俺を想ってくれた証拠だと思ってる。
テニスの限界。大学受験。見えない将来への不安。当の本人より、君の方が気に病んでいたなんてすごく君らしい。

忘れていないよ。
今日は、君の最後の笑顔を見た記念日。誰よりポジティブな俺は、あの日を「記念日」と呼ぶことにしたんだ。
会おうと約束していたあの日、君が家族と共に引っ越した事を知り、それを俺に伝えて行かなかった事実に打ちのめされても、それでも俺はあの笑顔を信じてた。

そんな事を考えていたからかな。

いつもの見慣れた駅の階段。
薄暗くて、吐き捨てられたガムの跡や煙草の吸殻で汚れた、そんな地元の駅。
俺を含め、平日のサラリーマンの背中なんてどれも似たり寄ったりで、グレーや濃紺の疲れた様な猫背。
そんな中、癖の無い黒髪が視線の端を掠めた。
何故かなんて分からない。もう反射的としか言いようがない。俺は振り返った。
その背中も、一瞬驚いたように足を止めたけれど、すぐに慌てて駆け出す。
俺は迷わず追った。
急に逆向きに階段を駆け上る俺に、後ろのOLさんが驚いたように飛び退いてくれて、後は上手く擦り抜けた。

「神尾くん!」

自信があった。何故か見間違いだなんて思わなくて、疑いもせずに呼び止めた。
普通列車から吐き出された人々はもう粗方改札を潜り、人も疎らな駅で、神尾くんの鮮やかなパーカーは肩を震わせる。

「神尾くん」

すぐに追いついて、その肩を強く掴んだ。
今度こそ逃がさない。
強引に振り向かせれば、その目からはぼろぼろと涙が伝い、声を上げまいとくいしばった口もとからは、それでも嗚咽が零れる。

「…神尾くん」

元より責める気なんか無かったけど、ほんの少しは頭の隅に在り続けた怒りも、綺麗に消し飛んだ。
誰より後悔していただろう事は、今の神尾くんを見れば一目瞭然で、自惚れるわけではないけれども、きっと俺よりも俺との再会を願っていてくれてたのだろうと思う。

「千石さんっ」

「うん」

「せっ、ごく、さん…っ!」

「うん、俺だよ」

ひィ…と、か弱い子猫みたいな声が漏れると、もう我慢できずに神尾くんは盛大に泣き崩れてしまった。
こんなに感情を露わにする神尾くんは初めてで、俺はどうしたものかと少し逡巡して、結局強く抱き寄せた。
その涙は謝罪の涙かもしれない、神尾くんにはもう想い合う恋人がいるかもしれない。それでも構わなかった。
抱きしめた身体は、相変わらず細く骨ばっている。あれから多少は成長したのだろうけど、その分俺も背が伸びたから、その差はあまり変わらなかったようだ。あの頃の感覚が一気に蘇る。

「何で泣くの?」
抵抗せず俺の胸に寄せた頬は、泣きじゃくって真っ赤になってしまった。恐る恐る見上げた顔は、涙に鼻水にもうぐちゃぐちゃで、そんな神尾くんを見たら何故だか急に胸の奥がいっぱいになった。
スーツのポケットからハンカチを取り出し、神尾くんの頬を丁寧に拭ってやる。拭ってやりながら、今度は自分が泣けて来て、そうしたら神尾くんがその手で俺の涙を拭ってくれた。

「香りがしたんだ」
ようやく聴けたその声は随分な鼻声だけれど、それでもあの頃と同じ少し高めのトーン。
「香り?」
「うん。この香水の香り」
そう言って神尾くんは、すん…と俺の襟元に鼻先を埋めた。
「ああ、そっか」
そう。付き合い始めた頃、神尾くんがプレゼントしてくれた香水のミニチュアボトル。
甘酸っぱく陽気な香りが俺に似あうと、神尾くんが選んでくれた香り。
俺は、あれからずっと、この香りを付け続けていた。神尾くんが残してくれたものが余りに少なくて、俺はこれに縋るように執着し続けた。

「ハハ、俺の粘り勝ちだ」
もう一度強く抱きしめれば、神尾くんは少し抗うように身を捩ったけれど、それでも逃げる気が無いのは明らかだから。少々痛いサラリーマンの視線はこの際気にしない。
そして、ゆっくり確認しよう。
この涙の訳と、あの日の笑顔の訳を。

ポジティブな俺にとって、薄汚い駅の風景は、特別素敵な景色と変わっていく。
だってきっと、今日は俺達にとっての「記念日」になるはずだから。

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