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跡部視点。


いつか穏やかなsquare 7

その後姿は見間違えようもなかった。
「宍戸」
俺の声に、その背中がびくっと揺れた。そして、恐る恐る振り返る。
「ああ、跡部か…」
忍足や岳人じゃなくて良かったって顔だ。
これでも一応、お前の「初めての男」なんだけどな。ここまで無害な安全パイ扱いされると、少し腹立つな。
まあ、いい。
「コーヒーでも付き合えよ」
「ああ…」
宍戸は一瞬戸惑いながらも頷いた。

「お前がこんな駅使うなんて珍しいな」
大学へ通うなら、宍戸の最寄りの駅から便の良いスクールバスが出ているのだ。
「あー、ま、ね」
歯切れの悪い返事だ。
「岳人の事避けてるのか」
「避けてる…ってか、まあ、そうなるのかな」
同じ大学に通う事が、こんなに不便と感じた事もないだろう。ましてや宍戸と岳人は学部も同じだ。
俺とは違って、相当意識しなければすぐに顔を合わせてしまうのは、容易く想像がつく。

少し、痩せただろうか?
もともと無駄な肉がついた奴ではなかったが、痩せた、というか「痩せこけた」という表現の方が相応しいかもしれない。
「食ってないのか、飯」
「え?食ってるよ」
「ふん。じゃあ眠れねえか…」
カップから唇を離して睨み上げれば、宍戸は苦笑いをした。
「少し、な。寝つきが悪い程度だ」
どこが少しだよ。
そう思ったが、言っても詮ないことだ。
宍戸は、少しかさついた唇でストローを咥える。
「その後、どうだ?」
俺の言葉に、宍戸は「特に」と返す。
「…体だぜ?」
「あ?あァ、そっち」
宍戸は、とても遠い目をして窓の外を眺めたままだ。
どうでも良さそうな返事が癪に障る。少しは、恥じらって見せろって話だ。
普通そうだろ?抱かれた相手と、抱かれた後初めて顔合わせるのに、何だってそんな興味なさげなんだ。
「熱は?」
「すぐ下がったよ」
「そうか」
心ここに在らず…だな。
小さく溜息を吐いたら、今度は宍戸が声を掛ける。
「跡部」
「ああ?」
「…昨日、岳人を見かけたよ」
「そうか。話しは?」
宍戸は小さく首を振った。
「でも、普通で良かった。あいつ、忍足のこと受け入れたんだよな」
一瞬、何て答えていいか戸惑う。
けれど宍戸は、あまりに穏やかな表情で…。
俺は躊躇いながら、その瞳の奥を探る。
「何でそう思う…?話してないんだろ?」
俺の言葉に、宍戸は口の端だけ上げて、盗み見るみたいにクスっと笑った。
「分かるって。アイツらしい顔してたよ、吹っ切れたって感じの。跡部が手貸したんだろ?」
その言葉は、全く俺を攻めている風ではない。
聞くまでもなく、答えを確信しているようだった。
「…別に、手なんて貸してねェよ。ただ、どうしたいんだって聞いただけだ。結果的に忍足の所に行くと決めたのはあいつ自身だ」
「そうか」
宍戸は、細く長い息を吐いた。
伏せ目がちな表情は、落ち込むというよりも、重い荷物を下ろした、そんな安堵感に似ている。
「…ありがとな、跡部」
「何で、手前に礼を言われるんだ」
「本当は、」
宍戸は小さく言葉を切って、痛みを堪えるような顔をする。
「本当は、俺がそれをすべきだったから」
「…バカが」
腹が立つ。
こいつは、いつも人の事を考えてばかりだ。不器用なんだから、自分の面倒だけを見てればいいものを。
もう少し、思う様に生きればいいのにと、思わずにいられない。
「それで、お前はどうする?」
「どうするって?」
「このままでいいのか?」
「…岳人との事か?」
「違う。お前の気持ちの問題だ」
「え?」
「忍足だよ。お前は、その気持ちを打ち明けずに終わるつもりなのか?」
「ああ…」
正直、今更だろうと思うのも分かる。
忍足は宍戸の気持ちを全部気づいていた。そして、忍足が気づいてた事を宍戸も分かっている。
岳人だって、全て分かっているんだからな。
「でも、それとこれとは別だろう?お前はそれで進めるのか?」
「進む…」
途方に暮れた子供のように、宍戸は言葉を失くした。
テーブルを滑る視線は何も捕えてはおらず、ただ、水滴にふやけた紙ナプキンがその視界を占めているようだ。
「このまま想うのも、諦めるのもお前次第だけどな。何も無かったかのように過ごせるとは、俺は思えないぜ」
「分かってる…」
もしこのまま疎遠になってしまえば、何も知らないジローや滝、後輩たちはどう思うだろう。きっと、ひどく寂しがるだろう。
俺だって、そんなのはまっぴら御免だ。
けれど何より、宍戸自身が、こんな中途半端なまま笑えるとは思えない。
だかららしくも無く、こんなお節介を焼いてしまう。
「宍戸、」
「…ごめん」
宍戸は、両手で顔を覆った。
「宍戸…」
「分かってる。ちゃんと告白して、きっぱり振られて『お前たちは俺を気にせず付き合えよ』って潔く身を引いたら、きっと後は時間が解決してくれるって」
けれど、そんな風に割り切れるはずがないって事も分かってる。俺も、宍戸も。
「もう少し待っててな、跡部。きっと無くさないから、俺達の場所。あと少しだけ…」
「宍戸…」
そうだ。結局俺は、宍戸に甘えている。
俺は、居心地の良い場所を無くしたくなくて、宍戸に酷な要求を突きつけているんだ。
「…悪い」
「何で跡部が謝るんだよ…。お前って実は損な性分だよな」
「うるせェ」
「…ハハ」
俯いた体はこんなにも小さくて、俺はあの夜を思い出す。
浮いた肋骨に、程良く締まった腹。
胴周りがあまりに細くて、俺は驚いたんだ。
俺と同じ男の身体なのにとても華奢で、けれど軟弱なのではなく。凛として儚い、そんなイメージ。

― 宍戸、俺ではダメか?

零れ落ちそうな言葉を、慌てて呑みこんだ。

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